石田貴裕 アート制作journal

岩手で絵画制作しています。作品紹介と日々の出来事を綴って行きます。

冬の蝿

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梶井基次郎の小説を読むと

こう、長い時間布団に横たわった身体の

軋みが疼いてくるような気分になる。

病に伏すことで人を妙な境地にさせるのか、意外にもそれが純粋な思考であったりするのか、よく分からなくなってくる辺りが風邪をひいて横になっている心情とよく似ている。

そうか、自分だけでは無かったかと安堵する一方、やはり病的な思考に偏り過ぎていたと思い返し、また落ち込んでしまう。

落ち込んではまた新たに考えを巡らせる。

意識下に置かれた物に苦しめられているのではなくて、あまりにも今まで無頓着過ぎただけなのだ、これが自然なんだと考える今日この頃である。

詩から散文へ

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EPA 2

oil on canvas

(H)434x(W)326x(D)66mm

2016

 

島崎藤村の『千曲川のスケッチ』

散文で描かれた風景の静かさに共鳴する部分を見出す。

何かドラマがあったのか、何か特別な思いで此処にいるのか、

決して見返りの無い日々の集積の結果なのだと自分で納得させている。

作品の詩があり、それを掛ける散文によって空間を作れば

単調に過ぎ去る事を書留めるのが一つの方法だとしても

それも決して悪くない時間の過ごし方なのだと思う。

モノクロームの風景

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Mint Green L

oil on canvas board

(H)334x(W)239x(D)72mm

2016

 

 

モノクロームの風景

現実において、その瞬間を目にした時

雫が肌に滴るような緊張感に包まれます。

美しいとか、静寂の饒舌性だとか

それらをも超えて、現実の側面の異端的な部分のその中にいることの意味を未だ良く知り得ない事のもどかしさを、何かせずにいられない気持ちの中を洗い去る様な。

神秘とは何もかも奪い去っていく時に感じられるのかもしれません。

意味を突き詰めて行こうとする人々への抗いの様に、北国の神秘は降り去っていくのか。言葉にだって出来ないのに。