音楽的アプローチ
音楽的アプローチ
音楽で受け取った作用を展開し制作している。
そういう人は沢山いるだろうし、無くてはならないものであったりする。
制作をする上で音楽としての役割はこうだ。
BGMとして動作にあまり影響ない程度のものがいい人もあれば、ダンサブルに身体と音楽のリズムに興じて作業する人もいる。
ロマンチズムに恍惚と酔いしれるもよし、ダウナーに揺れ動く心情を演じるもよし、要はなんだっていい。
実際自分はというと、音楽が流れていようが流れていまいが、物事が始まってさえいればどちらでもかまわないと思っている。
物事の始まりというのが肝心で、それまでに鼓舞したり考えをまとめるというファクターとして音楽が必要なのである。
その為にはジャズ、ロック、クラシック、映画音楽、アニソン、気分次第で様変わりしえる空間に対応できる姿勢が必要なので、痒いところに手が届くラインナップを取り揃えないといけない。
微に入り細に入り、とても神経を使う作業になってしまう。
そういう考えではあったもののやがて破綻して行き、今ではスマホに取り込んだ音源をBluetoothスピーカーで聴いている割合が増えた。
シャッフル機能により全く関連性のない繋がりの妙を味わう事の楽しさにハマっている。
いったいどんな気の利かせ方をすれば、
John Zornと、ちあきなおみとAretha Franklinと筋肉少女帯の流れを作りだそうとするのか。
むしろそれでいいと感じる。対極にある状態を一連の流れに無理矢理詰め込もうとする姿勢が素晴らしく、ズレによって多幸感に充ち満ちてくる。
なんだか最初に書いた話題と外れてきたので、週に一度くらいの割合で音楽の話するというお決まりを自分に命じて終わりにする。